オペラ歌手のキャリアには大きく分けて三つの形があります。
ドイツ・オーストリア・スイスで主流なのは劇場専属のソリスト(月給制)です。歌手は劇場と専属契約を結び、安定した収入を得ながら多様なレパートリーを経験します。ドイツのみでも約80の公共劇場で1100人程の専属ソリストが契約されていますが、この数は30年前の約半分となっています。
合唱団員として終身雇用契約を得て、プロダクションによってソリストとしてキャスティングされるケースも存在します。
一方、フリーランス歌手として活動する道もあります。こちらは公演やプロダクションごとに契約を結ぶ形で、イタリアやフランス、スペイン、英国等では基本的な職業形態です。専属制度が根付いているドイツ語圏でも、特にワーグナーやリヒャルト・シュトラウスの主役級、現代作品やバロックの専門家など特殊なレパートリーを担う歌手は、フリーとして活躍することも少なくありません。交渉やスケジュール調整は通常エージェント(音楽事務所)が担い、劇場と歌手をつなぐ重要な存在になります。
そして「ハイブリッド型」。専属として劇場に所属しながらも、スケジュールが許す範囲で他の劇場にゲスト出演するスタイルです。専属とフリーランスの両方のメリットを取り入れ、柔軟にキャリアを広げていく歌手が増えています。
歌手として生きていくには厳しい競争を乗り越える必要があります。
かつては現地に滞在し、地道に人脈を広げて声を聞いてもらい契約に繋げる、あるいはコンクール入賞からデビューを果たしエージェント(音楽事務所)がつく、といった流れが中心でした。
そこに近年、新たな登竜門として中心的存在感となったのがオペラ研修所です。歌劇場が若手歌手(原則30歳前後まで)に月給を提供し、本公演に配役しながら舞台経験を積ませる1〜2年間の研修制度で、若手にとっては収入+経験、劇場は安価な労働力を得られる仕組みになっています。
1999年時点では欧州全体でわずか13箇所だった研修所、今ではドイツだけで30、欧州全体で50以上の常設劇場がこのような研修システムを有しています。
40歳未満と推定できる歌手のプロフィールを見てみると、大劇場の専属歌手で90%、中小劇場でも70%前後がいずれかの研修所を経由しています(いずれも当団体調べ。出典:各劇場公式ホームページ)。
インターネットの普及により、一次審査はオンラインが主流となり、まずは書類や録画審査で数百、時には数千人と競い合わなければなりません。その中から現地オーディションに進めるのは、ごく一握りです。
国際的競争の激化は、「Neue Stimmen (新しい声)」コンクールの参加者数の経緯を見ても明らかです。
北米・韓国・中南米・南アフリカといった地域からも実力ある若手が次々と台頭しており、英語を共通語として活動できる歌手が増えたことも、競争の土台を大きく変えました。
韓国や米国など一部の国では、有力財団がオペラ研修所に出資することで自国の若手のための枠を確保(※選考は劇場側)。舞台経験の機会を自己資金で提供し、欧州での就職へと繋げ、将来的に後進の指導で還元させる仕組みが整っています。
そんな中、日本人を取り巻く環境は厳しく、ドイツで専属契約を結ぶ約1100人のソリストのうち、日本人はわずか10名程度。東洋系歌手全体の約1割に留まります。ドイツで2024/25シーズンのみでも130名以上いた研修所在籍者のうち、全体の2割近くは東洋系、日本人は1名のみでした。
上記の現状を踏まえると、「欧州で歌いたい」という目標を叶えるためには、国際的な競争の中で評価されるための戦力的な準備が不可欠です。
舞台を踏むに耐えうるスキル
研修生・若手といえど、劇場にとっては「戦力」。発声はもちろん、舞台人としての表現力・スタミナの面でも、「プロ」として見なされるレベルに達している必要があります。
現地で通用するコミュニケーション
完璧な文法ではなく、即応力と積極性が信頼を生みます。まずは英語であっても意図を明確に伝え、さらに現地語を学ぶ意欲を示すことが大切です。
響く応募パッケージ
書類や動画は、数百〜数千人の応募の中で審査員が最初に出会う「歌手自身」。 ここで光ることが、生で声を聞いてもらうための大前提です。
写真、舞台経験、学歴、コンクール歴、語学力、レパートリーリストを見やすく配置したCV(履歴書)
魅力をアピールできるビデオ、
人柄と意欲が滲み出るカバーレター
上記1〜3の準備が、プロの歌手として業界に入れるか否かの大きな分かれ道になります。
つまり、欧州のオペラ界に挑む若手にとって大事なのは
歌手としての魅力を的確に示し、現場ですぐに活かせる準備を整えること。
また、上の世代には、最新の情報を日本語で共有し、同胞ネットワークとして挑戦をサポートしていくことも求められています。
私たちは、自分自身が「こんな情報が欲しかった」と感じた経験をもとに、それを次の世代に提供しています。